(56)Jones ファミリー ーその2 クリスー

エリカの日常

1時間ほどたって

リビングに戻ったら

「ポールが こっちに向かってる」

と マークが言った。

 

夕飯は どこかで食べようと

思っていたのに 2人とも

結構飲んでるし ポールが

いつ ここに着くのかも

わからないので

家で食べるしかないと思った。

 

マリネードしたチキンを野菜と一緒に

オーブンで焼くことにした。

こういうときは 簡単で

豪華に見えるオーブン料理に限る。

 

後 ポールの好きなツナサラダと

野菜の酢漬けを

作っておけばいいだろう。

 

2時間半ほどしてポールが到着した。

1箱 24本入りの 冷えたビールを

持ってきた。

 

私といるときのマークは

物腰が柔らかくて 静かな感じなのに

兄と甥と一緒にいると ちょっと

乱暴な言葉遣いをしたりして

全くの別人みたいだった。

 

「アンクル クリスと スカイプで

話ができるよ」と

ポールが 言い出すと

「クリスの 顔を見るのは何年

ぶりだろう?」 と 言いながら

「早く 呼び出せ」と

ポールをせっついた。

 

まず クリスに電話して

スカイプ通話を承認するよう伝えて

アカウントを探して…とそれなりに

しなければならないことがあって

スカイプを始めるのに

手間取ってしまった。

 

ようやく クリスにつながって

お互いに顔を見て

話せるようになった。

 

マークとデビッドは ホントに

楽しそうに 話していた。

 

「エリーを紹介するよ」

と マークが言って 私が挨拶をしに

コンピューターの前に座った。

3人とも 何でもないように

話していたけど 初めて

クリスを見て ショックだった。

 

脳梗塞でたおれた後遺症で

左半身が麻痺していると

聞いていたが 思った以上に

ひどい状態だった。

 

言葉も 聞き取りにくく

何を話していいのかわからなかった。

 

オーストラリアでは 小学校の時には

ディスエイブル(身体障害者)も

健常者と同じクラスで勉強する。

 

1クラス 25人で

ディスエイブルには

ティーチャーエイドがつく。

 

重度のディスエイブルには

1対1の補佐がつく場合も

あるらしい。

 

日本の場合 学校の設備の問題から

障害のある子供は特別の学校に

行くことが多い。

 

子供のころから  ディスエイブルと

一緒に 学んでいると

ごく当たり前に接することが

出来るのだろうが 日本のように

別の場所で学んでしまうと

面と向かった時に

どう 接していいのか

わからなくなって しまう。

 

目を合わせられなったり

何か 不自然な態度を

とってしまうことになる。

 

友人の子供が 3年生の時に

重度の障害のある女の子が

クラスに入ってきた。

 

最初は 目もうつろで

車いすから立ち上がることもできず

ぼんやりとしているだけだった。

 

けれども 毎日学校に来ているうちに

だんだんと目に輝きが出るようになり

両手を上げたり歩補助装置を着用して

人に支えられながら

歩く練習もするようになったそうだ。

 

そして 6年生の最後のマラソンでは

ゴールの数メートル手前で

車いすから立ち上がり

自分一人で歩いてゴールしたらしい。

 

その姿を見た時 友人は感動して

涙が出たと言っていた。

 

この話を聞いたとき

いかに 脳を刺激することが

リハビリに役立つのかと

すごく感動したのだが

いざ 目の前に

半身麻痺の人が現れると

直視できなかった。

 

小一時間も 話していると

クリスが疲れたらしく

スカイプを終えて みんなで

夕食にした。

3人とも ガンガンにビールを

飲んで チキンもあっという間に

食べ終えてしまった。

 

夕食後 デビッドが ポールに

「3日後にそっちに行っていいか?」

と 聞いたときに ポールが

「ガールフレンドがいるから

うちには泊められない」

ときっぱり 断った。

 

なんだか とっても嫌な予感がした。

ポールの家にもいけないし

友達にも連絡を取っていないって…

 

ごちゃごちゃ考えるには

私もすっかり 酔ってしまっていた。

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