「アメリカ赴任が 決まった
一緒に 来てくれる?」
それがプロポーズだった。
翔太と付き合って
2年が経っていた。
ロスアンゼルス郊外の
タウンハウスに 新居を構えて
二人の生活が始まった。
「右側走行だから トモカには
危ないよ。」と言って
翔太は 私がアメリカで
運転するのを嫌った。
確かに 前に車がいるときは
ついて行けばいいので
車線を間違うことはないけれど
横道から主要道路に
入ったときに うっかり
左側に入って
前から車が走ってくるのを見て
ドキッとしたことがある。
アメリカでは パーティや
イベントは 常に 夫婦同伴。
あまり パーティは好きではないが
アメリカ人は 社交的で
私にも 楽しめる話題を選んで
話しかけてくれたので
だんだん 慣れていった。
アメリカ人から
翔太は Shawnと呼ばれ
私は Mocaと呼ばれていた。
ショーンというのは
なんだか 変な気がしたので
二人の間ではショーと呼んでいた。
買い物は週に一度
まとめて買う。
ショーについてきて
もらわないと
一人では 運びきれない
量になる。
見たこともない缶詰や
調味料の説明を
二人で読んでは
「どんなもんだろう?」
「買ってみる?」
と 相談しながら
買い物をした。
日本人会のような集まりには
ショーと 一緒に参加。
会社関係の人との話は
苦手なので ショーが
いろいろと気を使って
私が打ち解けて
話ができるようにしてくれた。
私が 「ダンスのクラスに行きたい」
と言うと 「ジムに行こう。 モカが
レッスンを受けている間 僕は
トレーニングしている」 と言って
ショーが 一緒に来た。
どこに行くにも 何をするにも
ショーが一緒だったけれど
新婚だったし アメリカだったし
当たり前だと思っていた。